嵐山町(らんざんまち)は、埼玉県のほぼ中央に位置し、都心より60km圏にあります。比企丘陵の中枢部を占め、山あり渓谷あり、平地ありと変化に富んだ自然の宝庫で、国蝶オオムラサキが生息する地としても有名です。
嵐山渓谷バーベキュー場やラベンダー園など、観光に訪れる方も多くいます。
歴史的には、木曽義仲や畠山重忠など、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した坂東武者のゆかりの地でもあります。
町名の由来は、昭和3年に武蔵嵐山渓谷を訪れた本田静六林学博士が、渓谷と周囲の赤松林の美しい景観を眺め、京都の嵐山に大変よく似ているということで、武蔵国の嵐山という意味の「武蔵嵐山」と命名されました。その後、当町の町名に採用され「嵐山町」となりました。
埼玉県を代表する景勝地のひとつといわれる『嵐山渓谷』。岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織り成す景観は、嵐山町の宝です。渓谷と周囲の赤松林の美しい景観は京都の嵐山に大変よく似ており、町名の由来の地となっています。
平成31年6月オープンした『ラベンダー園』。およそ6.5ヘクタールの植え付け面積は日本最大級の広さとなります。毎年6月には「らんざんラベンダーまつり」が開催され、摘み取りや手芸教室など体験イベントもあり多くの観光客で賑わいます。
戦国時代に築かれた戦国期城郭の最高傑作の一つといわれる『杉山城』。国史跡として指定を受けるなど、歴史を感じる貴重な資源が残されています。杉山城跡は菅谷館跡とともに平成29 年に「続日本100名城」に選定されています。
平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した「畠山重忠」と「木曽義仲」のゆかりの地です。
畠山重忠は源頼朝の信頼厚く、文武両道に優れ、誠実で思いやりのある人柄とも相まって武士の鑑とまで讃えられた人物です。木曽義仲は、鎌倉幕府をつくった源頼朝の従兄弟であり朝廷から朝日将軍、征夷大将軍にも任じられました。
嵐山町の食文化といえば『めんこ』。埼玉県北部地域の方言で、農林61号の小麦で作られたうどんのことを『めんこ』といい、昔はどの家庭でも常食でした。農林61号は、特有の食感や香りの良さが自慢で、めんこ以外にもたくさん商品が展開されています。
鬼を大切にしているとても珍しい『鬼鎮(きぢん)神社』。2月3日の節分祭では、「福は内、鬼は内、悪魔そと」という一風変わった掛け声が聞かれます。強い鬼に厄災から守ってもらおうと、遠方からも多くの観光客や受験生が訪れます。