ふるさと納税百選

石川県中能登町

中能登町(なかのとまち)は能登半島の中ほどに位置し、平成17年3月1日に(旧)鳥屋町・鹿島町・鹿西町の3町が合併し誕生しました。中能登町は邑知地溝帯を中心に平野部が広がり、東側が石動山、西側は眉丈山をそれぞれ中心とし、日本の原風景とも言える田園地帯と、それを取り巻く丘陵地の緑、潤いある河川などの身近な自然環境、旧街道沿いの集落や、神社・寺院群、それらを舞台とした祭りなどの伝統文化を地域の重要な資産とした素晴らしい「中能登町(なかのとまち)」です。平成26年には「どぶろく特区」となり、3つの神社で江戸時代からどぶろく醸造が受け継がれています。この健康や美容効果もある、どぶろくや甘酒を使った商品開発も行われ地域活性化につなげています。

能登の王墓が眠る能登最大の雨の宮古墳群

古墳時代前期(4世紀代)の古墳群であり、葺石でおおわれた前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に、方墳、円墳など、全部で36基の古墳が点在している。発掘調査により1号墳の埋葬施設からは銅鏡や方形板皮綴短甲、碧玉製腕飾類など豊富な副葬品が出土しており重要文化財に指定されている。

衆徒3000人を擁した山岳信仰の霊山・石動山

標高564メートルの山で、山岳信仰の霊場であった。伊須流岐比古神社の社殿のほか、堂塔伽藍が建ち並び、「いするぎ法師」と呼ばれた衆徒の修行の場として発展したが、戦国時代末期に、前田氏により復興が図られ、全山を「石動山天平寺」と号して、以後明治元年(1868)の神仏分離令を契機に衰退に向かった。

全国一の麻織物の称号「能登上布」

2000年前に崇神天皇(すじんてんのう)の皇女が現在の中能登町能登部下に滞在した際、この地に機織りを教えたことが始まりと伝えられています。その後、江戸時代に近江(現在の滋賀県)から技術を導入して発展し、昭和初期には麻織物では全国一の生産高を誇りました。昭和35年に石川県無形文化財に指定されています。